自分でがんばって叶えたいお願いと、
叶えさせられるお願い事。
長く占い師をやってきて、
この2つが同じって人を
みたことがない。
そしてたぶん
これからも見ないと思う。
叶えたいお願い事と
やらされるお願い事が
なんで一致してないのか、
別に意味があるわけじゃなくて
スピリチュアル的にも
確率的にも
ただの
偶然なんだろう。
二つが一致してる人を見たことはないけど、
やらされるお願い事を
叶えてみて、
そうか、この気持ちを
手に入れたかったから、
もいっこの方のお願い事を叶えたかったんだな、
と理解する人は
たくさんいる。
そこまで行きついた人はとても幸せ。
でもさ、
一致してないってことは、
今日まで書いてきたように、
「それはどうしてもしたくない」
って思い続けて
やらされることがうまくいっているのに、
それに対して
つらいつらいつらい
と思う人も多いってことなんだ。
私のお客様は、ほとんどがこの段階の人。
仕事やなんやら
うまく行っているけれど
まだどこかに到達してなくて、
これが私の欲しかったものだ
というところまでは
行きついてない人。
だいたいが
なぜ私はこんなことをしなければならないのか、
苦しい苦しいと訴え続ける。
とてもうまくいってるにも関わらずね。
やらされるお願い事が
自然とうまくいってしまって、
憧れられるくらいにまでなって、
でも叶えたいお願い事の方は
なかなか思うようにはいかない、
どうすればいいどうすればいい?
っておっしゃる。
そういう人に私は何というか。
とても酷だけれども、
早くあきらめろ
という。
早く、自分のやるべきことの方を
見つめろ、と。
そういう人は、叶えたい思いよりも
やらされるお願い事のほうを
大きな割合で持っていて、
そういう人に、
はやくお役目に従事してと
言うのは私の仕事の一つだからだ。
そういう人は、
自分のやらされることをすることの方が
叶えたい思いが叶わないと苦しむよりも
ずっと楽。
そしてそれを本人も知っている。
ホントは、
憧れられる立場になりたい人が
憧れられる立場になるのが
いちばん効率的と思うけど、
こういうのって、
きっとただの抽選なんだよな。
んで結果的に、
やらされる仕事をして、
ふむ、まあこの人生もアリかな、
と思えるようになった人が
人に教えてくれてるのが
自己啓発であり、
願いを叶える方法
だったりするわけだ。
願いってのは叶わないんだよ、
ということを言ってるんじゃなくて、
叶えたい願いは、
願いを叶えようというマラソンのゴールにあるわけじゃなくて、
ぼやぼや歩いてたら
あの花なんだろう?
この石きれいだな、
穴に落ちた、
穴から見た月はきれいだな、
あれ、横道がある、
部屋があるぞ、
モグラのお母さんがいた、
ツバメが迎えに来たから乗ってみよう、
降りたら素敵な王子様がいた、
運命の相手だったわ!キャー
という行き当たりばったりを
どれだけこれは願いが叶っている現象だ、
と脳が勘違いするか
なんだよな。
運命の相手と出会うためには、
花なんて見てられないわ!
ではあかんということだ。
じゃ、次のネタはこれだな。
どうやって脳を幸せに勘違いさせるか。
しあわせはじぶんがつくる、
しあわせは自分のそばにありましたとさ。
結局、人間は何百年たっても同じこと言ってる。
いいんだ、これが。
いいんだこれが人間のかっこいいとこだから。