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あのころのことをかいてみよう その2

こんにちは、中小企業オーナー様専門 招福占いふくまねきネットタロット占いラーヤこと末永恵子でございます。

昨日のブログを読んでくださって、
言葉をかけてくださって、
本当にありがとうございます。

小さい頃のことが、
私が成長するためのなにかのリミッターになっていて、
どうしても前に進めなかったところがあるんだと思います。

ここで小さい頃の事を書くことで、
もう一度私はその時期を生き直している。

そして、私は、
認めてくださってるコメントを読むことで、
その時期の自分を育てている。

小学校のときに、育ちきれなかったものを
書き込んでくださった大切な言葉を読んで、
得ることができていると信じます。

私を育ててくださるコメントを力いっぱい書いてくださって、
本当に本当に感謝します。ありがとうございます。

私が今ここにあるのは、
読んでくださる皆さんのおかげです。

私は、皆さんの力をいただいて成長しています。
ありがとうございます。


昨日の続き書いてしまいましょう。

中学校に入って、まあ、そこそこ周りが大人になり、
私も大人になり、平均的になってきたせいもあって
表面上はうまくやれるようになってきました。

部活でバスケット部に入り、毎日毎日
すっごい練習。

普通に九州大会に出るような部だったので、
試合より、練習のほうがずっときついわけです。

そこで、最初の大事な出会いがありました。

バスケ部顧問の溝口先生。

厳しくて厳しくて、ほんとに怖かった。
その先生が言うんです。

「パスをやる方と違う方向を見ろ。」
「後ろも見えるはずだ。」
「視野を広く持て。」

このことは、私の一生にものすごい影響を及ぼしました。

ビジネスをする上で、人の運勢を見る上で、
見えないところを見る能力が、どんなに役に立ったことか。
人生をどれだけ変えたことか。

とはいってもね、
3年生までずっと補欠だったの。

2年生がつぎつぎとレギュラーに選ばれる中で、
私はずっと補欠。
しかも、しょっちゅう校則違反とか犯しては、
停部とかなってたし。

怒られて怒られて、生意気って思われて、
部員からも「なにあのひと」って感じで、
まあ例によってカンが強いの大暴走だったわけですよ。

でもね、ある日、停部中になんかの大会があったの。

私は2年生たちと2階の観覧席で見ていて、
最後の閉会式が始まった。

そのとき、厳粛な雰囲気になったもんだから、
2年生を立たせて、もちろん私も立って、
閉会式に参加したんだよね。

何日か後、先生がミーティングのときに、
選手以外の部員が立って、閉会式に参加していたのは
うちの中学だけだった、すばらしかった、誇りに思う
って言った。

ずっとずっと後になって、大人になって、
「あの時先生は、私の事を見てたんだ」って気づいた時、
滝のように泣けた。

今までに出会った先生の誰より厳しくて、
ほめることは一切何もなかったけれど、
私を信用してくれたのは溝口先生が初めてだった。

3年生の一番最後の大会。

初めて私は選手に登録された。

その理由を、先生は、私の親ではないほかの父兄に伝えたらしい。

「スエナガは、怒られても怒鳴られても、いやなことがあっても
停部になっても、それでも練習に来る。
視野の広さと、物事を続ける闘志、
やめない根性は必ず何かを成し遂げる。

3年間の部活では選手になれなかったけれど、
これが5年間ならきっと答が出ただろう。
だから、最後に急に伸びたスエナガを選んだ。」って。

うれしかったなぁ。

先生のこの話を聞かせてくれた、
友人のお母さん。ありがとう。

溝口先生が私のパーソナリティを
「それでいいんだ」ってはじめて認めてくれた人だな。

せんせい、ありがとう。

★大人になった今振り返ってみると、
多分、わたしがもっている苦痛にたいして鈍い感覚、
コレ、どんなときにも幸せにつながってる。

小さいときは、この鈍さのせいで、
どんどん苦しみがたまっていくことがあったかもしれない。

人から見たら苦しいと思われることを、
「くるしい」と言えない(思えない?)ことが、周りからみたら
マイナスに働いたことがあるかもしれない。

でも、でも、
今の私が、周りの人に

「どんな状況でも絶対に大丈夫。
幸せになる方法はいつでもあるから安心して」

と自信を持って言えるのは、
この苦痛に対する鈍さのおかげだ。

苦しみへの感覚の鈍さは、
私に幸せと明るさと希望だけを見せてくれる。

私の占いは、
ただ未来を見るだけのものじゃない。

どんなときにも必ず希望があって、
そこへ到達する道はちゃんとあるんだから、
その道を見つけて伝えるのが私の使命だ。

私の仕事は与えられた使命だ。

そして、苦痛への鈍さは、使命を全うするために
神様から贈られたなによりの宝物だ。